世宗憲皇帝(雍正)即位詔書
康熙六十一年(1722)十一月十三日,聖祖在病榻上「倉猝之間一言而定大計」,遺詔中命皇四子胤禛纘承統緒。七日後胤禛以新君之姿頒布登極恩詔,特別指出過去聖祖雖一度建儲,立皇二子胤礽(1674-1725)為太子,但因胤礽中年時神志昏憒,「病類風狂」,不得已將之廢斥,後雖一度復立,終以沉疾未除而遭廢黜。最後聖祖是在「升遐之日」,將宗社重任付託給胤禛,而世宗也藉此詔向天下臣民保證:過去的良法美政,本當萬世昭垂,他繼位後「當永遵成憲,不敢稍有更張。」
- 典藏號
- 038240-001
- 期間
- 康熙 61年11月20日 (1722.12.27)
- 尺寸
- 高 74.7公分,廣132.5 公分
- 材質
- 紙
- 備註
- 雍正帝の皇位相続権問題を調べると、理論上では遺詔は新しい君主に皇位継承の正当性を与えるはずである。しかし実際に、皇位継承権の問題は「遺詔」を書く前にすでに確定している。遺詔は満洲文と漢文を並べて書き、仮に隆科多達は満洲文の「juwan duici age in jeng」(十四子胤禎)を「duici age in jen」(四子胤禛)へと変更したい場合、必ず「十」(juwan)の文字を削って、jeng字の筆法で描く。無論この天下に公表した正式的な遺詔は、雍正帝が権力を握った後に加工されたものであり、当然そこから康熙帝の遺命を改ざんしたかどうかの検証はできない。