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居延漢簡

清代末期から民国初期にかけて活躍した学者の王国維は、当時の歴史学の目覚しい発展を讃え、「二十世紀初頭、中国学術界では四つの大発見があった。」という言葉を残しています。その一つが、西域から続々と出土した漢代(前206-後220年)から晋代(265-420年)にかけての簡牘資料です。この展示コーナーでは居延一帯から出土した漢代の簡牘資料、「居延漢簡」二百余点を展示しております。居延は漢代における西北の国境地帯に位置します。この地の守りを固めるために、前漢の武帝の頃から屯田兵による開拓と、北方および西北方面一帯への狼煙台や駅伝施設の整備、内郡と西北地帯駐屯地を結ぶ道路の建設が行われるようになりました。居延漢簡は、当時この地に駐屯していた軍官によって記録された公文書を中心とする出土文献資料です。居延漢簡の記述によると、当時の居延の住民は、主に内郡から派遣された屯田兵、内郡から来た貧民や罪人、辺境の騎兵などによって構成されていました。このように居延漢簡は、中原地区の文化が政治面・軍事面での領域拡大にともない、この河西地区にまで伝播していることを証明しているのです。