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甲骨

清末の1899年、河南省安陽でたびたび出土していた甲骨が殷代の文物であることが判明すると、たちまち盗掘や濫掘が横行し、この時数万点に及ぶ甲骨が高価で売買されたといわれます。中華民国成立後の1928年、中央研究院は歴史語言研究所を創設すると直ちに董作賓を安陽小屯村に派遣し、甲骨出土状況の調査に当たらせました。董作賓は史語所への報告の中で、地中の貴重な文物を守るために一刻も早く全面的調査を行なうべきであると訴えたところ、この主張は中央研究院の蔡元培院長に採用され、以後10年間に15回にわたる発掘調査が行なわれることになったのです。安陽殷墟の発掘調査は中国人初の独力による科学的考古調査であり、また西洋の近代考古学の科学的方法を甲骨学研究に取り入れた嚆矢となり、これによって伝統的な金石学や文献史学の限界を打ち破ることが可能になったのです。