1930年代に河南省汲県山彪鎮遺跡で発掘された東周時代の墓葬、山彪鎮1号墓の出土資料を展示しています。山彪鎮1号墓は山彪鎮遺跡の中で規模が最大かつ出土遺物の豊富な墓葬で、大きさは東西7.4m、南北7.1mに達する東周時代の中―大型墓です。年代はおよそ春秋時代と戦国時代の境目(紀元前5世紀中頃)かそれよりもやや時代が下るものと推定されています。ここで展示している文物は、「鐘鳴鼎食(しょうめいていしょく:豪奢な生活の例え)」という形容そのものの、東周時代の貴族の贅を尽くした生活ぶりと、当時の工芸美術の水準の高さとを如実に反映していると言えるでしょう。
山彪鎮1號墓
這是河南汲縣(今屬衛輝市)山彪鎮墓地中規模最大、出土物最豐富的墓葬。形制為土坑豎穴墓,墓底東西長7.4公尺,南北寬7.1公尺,屬於東周時代的中大型墓葬。外槨內棺皆腐朽,木槨僅存板灰,棺旁殉葬四人,槨外四周積以石、炭。炭可禦濕,並防樹根穿入;石取其堅,亦因易潰而防止盜掘。本墓經盜,但只破壞一小部分,或是這個緣故。
隨葬遺物以銅器為主,包括:禮器、樂器、兵器、車馬器、工具等,種類繁多,且不乏製作精美者,如:水陸攻戰紋鑑、華蓋立鳥圓壺等,均比較罕見。在裝飾上,蟠螭紋、蟠虺紋較少見,常見素面無紋、或僅以雲雷紋帶為裝飾。此外,鑲嵌紋飾繼續發展,從春秋晚期的單體獸紋擴大為敘事性較強的水陸攻戰圖像。
根據出土器物的風格,本墓年代大概在春秋戰國之際,約西元前五世紀中葉,抑或稍晚。本墓遭盜,隨葬的鐘、鼎數量可能不及琉璃閣60號墓,但鎛的製作則遠較為精美,推測墓主的身分亦不低,至少屬於大夫一級的人物。